<北星社コラム>


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8 藤田雄(ふじたゆう)の見ている世界の姿
2013/01/07

この世の中にあるすべてのことに、私たちは他人と共通の意味を学ぶ。たとえば数字なら、1,2,3,4,5…と数を表すものだと学び、そして学んだ後は数を表すもの以外として必要とせず、また数としての意味を持たせないまま使ったりはしない。

27のぞうさん

27のぞうさん

藤田の描く絵を見てみよう。そんな数字というものに、シュールな表情をした動物たちを同化させている。それらはまるで、型に沿って描かれたような線で表現されている。彼の描く動物たちは、観るほうを少々不快にさせるかのような笑みを浮かべていたり、尖った歯をむき出したりしている。そして、必ずといっていいほど、彼の描く動物や人物の目の中には星のマークが描かれている。

「シュール」とはシュルレアリスムというフランスで起きた芸術運動の中から発生した言葉で、その運動とはある辞書に「理性の支配を退け、夢や幻想など非合理な潜在意識の世界を表現することによって、人間の全的解放をめざした運動」とあった。この、「夢や幻想など非合理な潜在意識の世界」という言葉が、彼の描く絵の世界に当てはまる言葉のように思える。

しかし彼は、これらの絵を「夢や幻想」から描いているのではない。

 

29のあひる

29のあひる

藤田は知的障害者である。言葉を話すことはできるが、数字と動物が同化していることや、動物の目の中にいつも五芒星が描かれていることなどの理由を聞いても、答えてくれるわけではない。彼の制作に寄り添っていた施設の支援スタッフによると、2はアヒル、7は象、8はパンダといったように数字と動物はその形から一貫性を持たせていた。ただ例外もあり、例えばパンダが好きになりすぎてパンダばかり描いていたときは、どんな数字もパンダになっていたらしい。

688のぱんだちゃん

688のぱんだちゃん

617のおとうさんらいおん
617のおとうさんらいおん

また、そんな数字動物の背景に描かれてある細長い楕円は、雲なのだそうだ。当時、藤田は、それらが黄色に塗られているときは朝焼けで、オレンジや赤色に塗られていると夕焼けだと言っていたらしい。雲が描かれてある絵のタイトルを聞くと、例えば「617のライオンの夕焼け」となる。描いているものを羅列させただけのタイトルなのに、何だか謎の言葉のように聞こえる。

なぜ数字と動物が同化しているのか、なぜ目の中に五芒星が描かれているのか、なぜ動物たちの表情は不快な笑みを浮かべているのか。これらひとつひとつの存在感も、その組み合わせも、「見たことのない世界」だ。

彼の絵には「なぜ」だか分からないことが多々あるが、藤田が非常にこだわりを持って描いたこれらの絵の世界は、私をその内側へ誘っていく。
 

彼の制作全盛期に支援していたスタッフから聞いた話の中で、忘れられない話がある。
 

藤田は知的障害のある人たちと、施設に住んでいる。週末になると、母親の待つ家に送迎バスで帰り、月曜日にまた施設へ来るという生活を続けている。2005年のある金曜日、彼がいつものように施設の送迎バスに乗り込み、家に帰る途中のことだ。

山道をくねくねと走り、視界の開けた広い道路へと出た。夕日が西の空に沈みかけ、深く透明な朱色の光がバスを染める。ふとスタッフが藤田のほうを見ると、彼は恍惚とした表情でその夕日を見ていたのだそうだ。声も出していた。言葉とは言えない声だったらしく、「へぇーー」だか「ほぉーー」だか、きっと、開いている口の奥から自然に出された音だったのだろう。舌を出し、笑みを浮かべていたという。

藤田の笑顔は普段でもよく見ることができる。彼はなぜか歯磨きが好きで、歯ブラシや歯磨き粉を持ち歩いている。制作の絶頂期は描きかけの絵も袋に入れて、必ず持ち歩いていたのだそうだ。また、彼は言葉遊びのようなことを好み、先日私が会いに行ったときもスタッフと言葉で遊んでいた。

「うずさとう」と、藤田が言う。
「うずしおでしょ」とスタッフが言う。
「砂糖やったら、海が甘く甘くなってしまうな。」と彼が言う。
「青虫」とスタッフが言うと、
「さなぎになって蝶になる」と藤田が言う。しかしときにはその答えが、「さなぎになったら火をつける」などと言う。

また、彼はなぜか屈伸運動のような動きをしながら移動する。スタッフに聞くと、歩くときは必ずこの阿波踊りのような屈伸運動をしながら歩くので、雨が降っているときなどは彼に傘を差しながらスタッフも一緒に屈伸運動をしなければならないのだそうだ。

彼にとっての喜びは生活の中のそこここにあり、その中で彼の表情もくるくると変わる。

しかし、夕焼けを見ていた彼の笑顔は、生活の中で見られた笑顔とはまるで違っていたという。

 

藤田は知っているのだ。毎日のように見られるこの世の不思議な自然現象の本当の美しさを。この摩訶不思議な美しさを、ここで見過ごすわけにはいかないことを。その支援スタッフは、「雄さんは夕焼けが本当に好きなんだということを感じた。「好き」ということの深さを感じた。」と言った。この「好き」という言葉は、私たちは日常生活の中で非常に安直に使っているけれど、実際は底の深いことなのかもしれない。藤田は、人間の奥にある何か熱いものが、夕焼けを見ることで震えることを知っているのだ。彼が描く絵の背景に夕焼けや朝焼けを描くことは、具体的に何らかの意図を携えた意味を持つわけではなく、つまりは全体的に不可思議に見えるシュールさも、何らかの意図を携えたものではない。彼が数字や動物に意味をわざわざ意味を持たせて描いているのではなく、それらにすでに存在している美しさや愛らしさを、非常に丁寧に描いているに過ぎないのだと私は思う。絵全体を見て奇妙だと思った自分の解釈が、彼の深い「好き」に塗りなおされたとき、さらに彼の絵が好きになった。

そして彼自身に会ったとき、その魅力にみんなが彼のことを好きになる。

35500のおとうさんらいおん

35500のおとうさんらいおん

きゅうきゅうしゃのうんてんしゅさん

きゅうきゅうしゃのうんてんしゅさん

 

雄さんの机の上(2012)

雄さんの机の上(2012)

 

 

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アラオ多枝子

京都精華大学で洋画を学んだ後、当時知的障害者入所授産施設であった「信楽青年寮」に入職し、全国で展覧会を開催した。その後、ボーダレス・アートミュージアムNO-MAのアートディレクターとなり、現在はNPO法人はれたりくもったりで、アウトサイダー・アートに関わる展覧会やグッズの開発などに携わる。様々な世界の人々の暮らしに根付いた美術を見るため、二度の長期海外渡航をした。