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7 木本博俊(きもとひろとし)の世界
2012/09/27

数か月前に、ある人から電話がかかってきた。彼と話すのは3年ぶりだったろうか。聞こえ難くないようにと思っているのか、その大きめの声が懐かしさを感じさせた。
 
用件は、「描いた絵を見に来てほしい」というものだった。
 
彼の絵を初めて見たのは作品そのものではなく、写真で撮り、家庭用のプリンターで印刷されたものだった。当時彼は精神障害者社会復帰施設で生活しており、担当看護師が送ってきたのだ。私は、ある作品公募事業を担当していて、そこに応募されてきたのだった。封筒から出てくる何枚もの彼の絵は、見る私を静かに受け入れてくれた。私の心が穏やかに周囲に浮遊した感覚を覚えている。

 

電話をもらい、私は彼に会いに行った。指定された場所は以前会った病院ではなく、彼が移り住んでいるアパートの一室だった。百枚と聞いていた絵は千枚ほどもあり、全部見るのに3時間もかかった。
 
そして私は彼の作品について思うことをとりとめなく書きたくなった。3時間もの間彼の作品と対峙し、私の心は空間にポンと浮いてしまい、元に戻れなくなったのかもしれない。
 
しかしその3時間もの間、私はのんべんだらりと彼の絵を見ていたわけではない。時間のない中やっと足を運んだ相見だった。3年ぶりに会うはやった思いと、当時は「もう描かなくなるかもしれない」と言っていた彼の新作に会うために、3時間高速道路を車でとばして行ったのだから。

 

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彼の絵と対峙すると、「単純な絵ほど、描くことは難しい」そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 

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無題  (撮影:大西暢夫)

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たまに、「こんな絵だったら私にも描けるよ」という言葉を巷で耳にすることがある。それを聞くたびに、「それをあなたが見たから描けるだけだろう」と思う。その絵を見る以前にそれを描けるかといえば、その人は死ぬまで描くわけがないと言い切れるだろう。木本の絵を見ながら私が感動し多弁になると、「まーた井上さんはこんなもんに感動してー。こんなもん、誰にでも描けるわな。」と彼は言う。そんなとき、彼は絵の描き方をまるで絵描き歌を歌うかのように教えてくれる。

 

彼の描く線はゆったりとしていて、空気のように軽いものの中ではなく例えば水中のような浮遊感を感じさせる。
 
そこには重さが少ししかなく、みんなふわふわとゆっくり動いていて、衝突するということがない。
 
一度「手を繋いで」しまったら、それは粘着質のようなものでくっつき、簡単には離れない。
 
有機的だが、人間が目で見る世界ではない。もっとミクロか、もしくはマクロ。人間が捉えられる世界ではない。

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絵の中には顔が現れる。横顔が多い。それらは感情を発していない。それでいて、彼の絵には愛を感じる。愛とは、感情云々とは別のものなのかもしれない。

 

 3年前、私は彼の絵について以下のように書いている。
「飄々(ひょうひょう)。飄々としている。くっついたり、離れたり。ジョイントに幾つもの生きもの達が、いる。そっと伸びている静かな命のつなぎ目は、優しく、そして美しい。木本の世界は、ごくごく小さなミクロの世界のようだ。私たちの目では確認出来ないところで繰り広げられている、整った増殖世界の愛。」

絵であるのに、数秒後には少し動いているような気がするのだ。彼の絵に登場してくるものたちには、他のものとくっつく箇所があり、それらがある程度の距離範囲内に入ると引き合ってくっつくのだろう。いくつもの有機体がくっついて、どこからどこまでがひとつの個体なのかが分からなくなる。個というものはあまり存在せず、つまりは個の範囲も存在しない。

 

 最後に、彼について書いておこう。私が見た彼の絵の中で、一番古いものには1997年と書かれてあった。少なくとも彼は、このような絵を15年は描いているということになる。しかし彼は今年で63歳になるのだから、15年描いていたとしてもそれほど長い年月ではない。
 
20歳に初めて精神科を受診し、今も精神疾患に関する薬を服用している。40年もの間病院の閉鎖病棟で暮らし、昨年アパートに移り住んだものの、そこも精神障害者復帰施設のすぐそばであり、その施設に通って食事をしている。
 
初めて彼に会いに行ったとき、作品を見せてくれたのは精神障害者復帰施設の中の活動ルームと書かれた札のついた、他の施設入所者もいる16畳くらいの白く明るく天井の高い部屋だった。ロッカーの中に入れていた800枚ほどのコクヨの便箋の裏に書かれた絵を持ってきて見せてくれた。表紙、裏表紙の固い紙に丁寧にはさんで保管してあり、またほとんどの作品に番号と、描いた日付が入れられていた。
 

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無題

彼の絵の中には、時に文字を模したものが出てくる。「木本博俊」という彼の名前は時に題材となり、作品の中にほかの有機物と同じように出現する。それは今回見せてもらった絵の中にもあったが、前回では文字そのものが紙の中に大きく扱われていたのに対し今回は、女の子や男の子の髪の毛が、よく見ると「木」とか「本」とか「博」とか「俊」という漢字やアルファベットで構成されていた。彼にとって自身の存在を示すものなのかはたまた、文字というものの形自体を遊んでいるのか。私にはそのどちらにも見える。

 

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無題

また、彼の絵を見ているとただ単純に「美しい」「かわいい」「こんな絵の入ったノートや鉛筆があったらいいのに」と思う。非常に浮世離れした世界を垣間見たようでいて、それらは例えば自分の身体が非常に神秘的であるということと同様に、生活のそばに、そぉっとあるような世界なのだ。実際には目に見えないのだから、目に見える形で、自分の生活の一場面に見えていてほしい。そんなことを考えていると、非常に贅沢なことのようにも思えてくる。私は彼から絵をもらったことがある。それらは今、一枚ずつ額に入れて、家の中に飾っている。生活の中でふと、それらを見る。その日常が、とてつもなく日常であり、とてつもなく非日常なのだ。

そういった「真実」を忘れないためにも、彼の絵は私の生活空間の中で息づいている。
↓SPIRIT ART MUSEUM木本博俊のページ
http://www.spiritartmuseum.jp/jp/permanent-collection.php?artist=026

 

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無題   (撮影:大西暢夫)

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井上多枝子

京都精華大学で洋画を学んだ後、当時知的障害者入所授産施設であった「信楽青年寮」に入職し、全国で展覧会を開催した。その後、ボーダレス・アートミュージアムNO-MAのアートディレクターとなり、現在はNPO法人はれたりくもったりで、アウトサイダー・アートに関わる展覧会やグッズの開発などに携わる。様々な世界の人々の暮らしに根付いた美術を見るため、二度の長期海外渡航をした。